耐久ランのレコードブレイカー・井手一仁氏の記録

これまで不定期に掲載してきた、「東京大阪タイムトライアル(以下、東京大阪TT)の歴史」のコラム記事。第四回となります。

今回取り上げるのは、大阪の井手一仁さん。1980年代前半にブームだった「耐久ラン」のスペシャリストです。「大阪→東京」では、記録が残る限りで最速となる「19時間45分」という記録を持っておられます。その他にも、当時の耐久ランの記録を次々に塗り替えられました。

最速の耐久サイクリストによる数々の記録更新の歴史を紹介していきます。



■導入


このブログにも記事がありますが、2012年に私は「TOT(東京~大阪~東京)」というイベントを開催しました。レポート記事はサイクルスポーツ誌に寄稿(2013年3月号)し、それなりに反響も頂きました。そして、その反響の中にこんな声があったのです。

 「確か30年くらい前にも、同じようなレポートがサイスポに載っていたような。
  方向は逆だけど、48時間以内に完走していたはず。」

  
驚きました。「東京大阪」の片道は昔から定番ルートであることは知っていましたが、往復をやるような酔狂な人が過去に居たとは。

調べてみると、その人の名前は「井手一仁」さんだということが分かりました。現在は、大阪府貝塚市で「サイクルジャパン」という出張自転車修理店を営まれています。

サイクルジャパンのホームページには、井手さんのプロフィールが掲載されているんですが、これが物凄い。

 ・日本縦断(1981年5月): 2683km/127時間36分 (現在も破られていない)
 ・大阪→東京(1982年5月): 558km/19時間59分 (橋本さんの記録を更新)
 ・大阪→東京(1982年9月): 552km/19時間45分 (自己記録を更新)
 ・大阪→東京→大阪(1982年10月): 1127km/47時間56分 (初の往復記録)
 ・アメリカ大陸横断: 5500km/21日
 
目黒にある自転車文化センターで当時のサイスポを閲覧したところ、「日本縦断」と「大阪→東京→大阪」のレポートを発見。非常に力強く生々しいレポートでしたが、やはりご本人から当時の話を聞いてみたいと思うようになりました。記事になっていなかった「大阪→東京」の内容も気になりましたので。

サイスポのレポートの最後には井手さんの言葉として、

  「全国のサイクリストと話がしたい!
   気軽に電話をください。」

   
と、ご自宅の電話番号が書かれていました。番号は、現在の出張自転車修理の依頼電話番号と同じ。さすがに30年も前の記事を真に受けて電話するのも失礼かなぁとは思いましたが、他に連絡先も分からないので、勇気を出して電話をしてみました。物凄く緊張して、久々に電話を持つ手が震えました……。

井手さんは現在でも、サイクリストと話すのは歓迎とのことで、お話をさせて頂けることになりました。ここから先の記事は、井手さんへのインタビューと、サイクルスポーツ1982年7月号、11月号、12月号の記事を元に構成したものです。



■井手さんのプロフィール


1960年生まれ。166cm/67-70kg(当時)。

小学校5年生頃にランドナーを買ってもらったのがスポーツ自転車との出会い。

自転車漫画「サイクル野郎」の影響で四国一周などのツーリングをする一方、将来の夢は競輪選手。近場の岸和田競輪場で練習を積み、自転車部の強い高校に進学したそうです。トラック競技でインターハイに出場。

夢だった競輪選手になるべく、伊豆・修善寺の競輪学校を受験したものの、二年連続で不合格。トラック競技でもインターハイに出る脚の持ち主でしたが、ここで脚質の差という壁に弾き返されてしまったのです。ご本人いわく、「スプリンターじゃなかったからね」とのこと。

そこで、井手さんは一念発起。得意な長距離走で日本一になることを決意したそうです。目標は、「全ての耐久ランの記録を塗り替える」ことでした。

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大阪産業大学に入学後、前述のように「日本縦断」「大阪→東京」「大阪→東京→大阪」と、次々に従来の記録を更新。全てのチャレンジは、雑誌やテレビ局に連絡を入れていたそうです(退路を断つため)。ご自宅にはその時の映像や、雑誌の切り抜きが残されています。日本縦断には、あの「シマノ」が協賛していたようですが、こうしたスポンサー探しもご自分でやっていたそうです。

現在でも大好きな自転車に貢献すべく、本業の出張自転車修理の傍ら、自転車店の開業支援講座も開かれています。



■大阪→東京(1回目)


大阪→東京への1回目の挑戦は、1982年のゴールデンウィーク。目標は、当時の区間最速記録である橋本さんの記録(20時間50分)を抜くこと。日テレの情報番組「ルックルックこんにちは」に取材され、実際に番組内でも井手さんのことが取り上げられました。

実は挑戦の直前に全編の試走を実施し(井手さん「24時間は掛からなかった」)、万端の準備で臨んだようです。この時代の他の方と同様、補給と修理道具を積んだサポートカーが帯同しての挑戦となります。


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都市部の渋滞時間を計算し、スタートは5月2日の14時。ルートは、「日本橋→日本橋」。井手さんとしては、

 「東海道五十三次の始まりは日本橋(にほんばし)なので、
 大阪の日本橋(にっぽんばし)をスタートにしようと思った」

 
というのがこのルートを選んだ理由。日本橋のすぐ近くにある通天閣をスタート地点に指定し、多くのギャラリーに見送られてスタートを切りました。映像を見せてもらいましたが、100人は居たようです。「通天閣に居る人はノリがええからね」とは、井手さんの談。知り合いじゃない人も多かったそうです。

道は基本的に国道1号線準拠だったそうで、京都回りで鈴鹿峠を突破。ここでは雨に降られたものの快走を続け、特にトラブルも無く箱根もクリア(こちらも旧道ではなく1号線で湯本に降りた)。トイレは三島で1回行ったのみ。休憩は5分間を10回くらい取ったとのことです。


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そして、19時間59分48秒という驚異的なタイムで日本橋の道路元標前にゴール。見事、それまでの最速記録であった橋本さんの記録の更新に成功しました。

ちなみに、ゴール時の映像にカメラマンからダメ出しを貰ったらしく、この映像はテイク2とのことでした。



■大阪→東京(2回目)


大阪→東京の再チャレンジは、1982年の9月25日。位置付けとしては、この後に行う予定だった「大阪→東京→大阪」のための腕試し。ですが、同年7月に更新された大塚さんの記録(19時間45分/サイスポでは19時間50分の表記)への意識もあったものと思われます。

今度のルートは、「梅田→日本橋」。今度は当時の「正式」ルートとも言える、国道1号線の端から端まで走るルートを選択。「先輩と条件を合わせるため」とのことでした。

今回も大きなトラブルは無く順調に走行。自己記録を14分更新する、19時間45分でゴール。これは、方向が逆である大塚さんと同タイムの記録となります。大阪→東京に限れば、恐らく2016年現在も未だに破られていない(※)大記録です。

※ 補足
私の知る限りでは、井手さん以後の大阪→東京では、Hideさん(@transamhide)が2015年に出した20時間48分が最速記録。
「東京→大阪」であれば、1990年代にマイク・シュルツという人が19時間28分で走ったという情報もあるが、詳細は不明。


■大阪→東京→大阪


2回目の大阪→東京で手ごたえをつかんだ井手さん。次なる目標は「大阪東京往復を36時間」。これまでは既存の記録に挑む形でしたが、往復ルートをやったのは井手さんが初めてのはずです。

 「片道19時間代で行けたからね。
 更に頑張れば片道18時間で行ける。往復でその2倍。
 単純計算ですわ。」

  
と、井手さんは振り返っていました。えっと、人間は疲れるもののはずなんですが……!

この挑戦に備え、大阪→東京の他に、大阪→名古屋→大阪(500km)を19時間26分で走りきるなど、相当入念にトレーニングを積んでの挑戦となりました。

10月10日 10時10分に、梅田をスタート。帯同したのはサイスポ編集部と、自転車部の先生だそうです。

予定通りにスタートを切ったものの、頑張りすぎ&雨による冷えで、鈴鹿峠で膝痛が発生。井手さんは「少しこの時はオーバーワークだったかもしれない。2週間前に19時間45分で大阪→東京を走ったばかりだったし」と振り返ります。


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この時点で距離はまだ100㎞。1000㎞を超える全体行程からすれば、まだまだ序盤です。スタッフはリタイヤを薦めますが、後には引けない井手さんは続行を宣言します(写真はその時のもの)。

普通、膝がやられてしまうとペースはガクンと落ちるものですが、そこはさすが耐久ランのスペシャリスト。なんと、20時間51分で東京・日本橋に辿りつきます。ご本人からすればベストから1時間落ちの遅いタイムになりますが、歴代のチャレンジでも10位以内に入るタイムでしょう。恐ろしい。

日本橋は雨。サポートカーに乗り込み、マッサージを受けて30分の仮眠。レポートでは、「眠った次の瞬間には目が覚めた」と井手さんは語っています。そういえば私もTOTの折り返し点で寝ましたが、ここから走り出すのはかなり辛いのです。ここまで走ってきた距離をまた走ることになるわけで。そのことを話した所、

 「変な所で共感しあうよね、耐久サイクリストは。
 ちょっとあの時の気分を思い出してきた。」

と井手さんは笑っていました。

折り返し点に到着から1時間24分。井手さんは復路のスタートを切ります。

一度は持ち直したかに見えたわけですが、やはり膝の痛みを庇った大小が体の節々に影響していたようで、今度は腰に痛みが。保土ヶ谷で57分、藤枝で17分間の大休憩を取って回復に努めます。

名古屋を通過した所で、今度は睡魔が。さすがにここまで30分しか眠っていないわけで、耐えられるはずもありません。ここで20分間の仮眠を取りました。

体が冷えてしまったため、長袖ジャージを着込んで走り出す井手さん。しかし、暑くなってきてジャージを脱いだ所で、袖が前輪に絡んで落車。スポークが歪んだのでホイールは交換となったものの、大きな怪我もなし。この出来事で目も覚めたとのこと。

ここからは気合で走りきり、スタートから約2日後の10月12日 10時06分に梅田にゴール! タイムは47時間56分でした。本人の目標である36時間には及ばなかったものの、この記録は未だに破られていないはずです。

そして、痛みを押して走ったため、「ゴール後一週間くらいはまともに動けなかった」と仰っていました。



■自転車

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下森製作所の「プロトン」で作ってもらったオーダーフレームを使用。この工房から独立したのが、「エクタープロトン」を手掛ける橋口製作所です。

車重は8~9kg(サイスポによれば8.0kg)。パーツはカンパニョーロのスーパーレコード中心で、スプロケットはサンツアーを入れていたそうです。ホイールは手組のチューブラーで、スポーク数は前28本・後32本。ホイールは基本的に全て自分で組んでいるとのこと。サドルはチネリ。

変速は、前2速の後7速。ギヤは前52-42T、後11-18T。日本縦断も全てこのギヤ比だったそうです。



■装備

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上半身は、ツルっとした質感でピッタリとしたジャージ。現在のエアロスーツのようにバタつかないジャージを着ていたようです。グローブは無し。バーテープは布製のものを使用。

前後のライトが一体となった、アームバンド型のライトを愛用していたとのこと。その他にも、映像の中では反射タスキをベスト風に身体に巻き付けていたシーンもありました。

この頃には既にパッド入りのレーパンも一般化しており、井手さんも使っていたとのことです。



■練習法


基本的には、実走トレーニング。月の走行距離は2000kmほど。

家のある貝塚市から、海沿いに和歌山の南部まで行き、帰りは内陸の山を通って帰ってくる300㎞が定番の練習コース。通常、12時間で走り切っていたそうです。

特徴的な練習としては、「夜中でも眠くならずに走る練習」をしていたそうです。あえて夕方の18時から走りだし、翌朝6時まで走るというもの。他にも、ローラー台で1000㎞を漕ぐという精神修行のようなこともされていたとか……。



■その他


実は井手さん、かなり石橋を叩いて渡るタイプだったようで、大きなチャレンジの前には必ず試走をしています。本番をスムーズに走るにあたって試走はとても重要だと私も考えているので、ここには非常に共感しました。

日本縦断も前編下見を実施。187時間で完走したとのことです。これでも十分速いのですが、本番は127時間で完走というのだから物凄い。

大阪→東京→大阪を終了後、井手さんの視線は海外へ。ニューヨーク・サンタモニカ間往復(5000km)、アメリカ大陸横断(5500km)や、アフリカ・サハラ砂漠横断(2700km)など、精力的に挑戦を行ったそうです。



■まとめ

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今回は井手さんのお宅でお話を伺いました。1時間の予定でしたが、話は盛り上がり、気づけば2時間が経過。当時のビデオや写真を交えてお話を聞くことが出来たのは、大変貴重な経験でした。やはりご本人から、その時の想いを直接聞くというのは特別なものですね。

ちょっと驚いたのは、1982年の映像なのに、やたら鮮明であること。テレビで見る昔の番組よりも綺麗なのではないか? おかげで、挑戦の息遣いが直に伝わってくるようでした。

後になって気づいたのですが、井手さんが大阪→東京→大阪に挑んだのは、1982年の体育の日。私が東京→大阪→東京に挑んだのも、2012年の体育の日。ちょうど30年後の同じ日だったわけです。気候的にもちょうど良いし、「体育の日に1000km以上距離を走るのも良いだろう」ということから日程を決めたのですが、耐久サイクリストの思考回路は似通ってくるのかもしれません。

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そして、この井手さんのチャレンジの後、「東京大阪TT」は一旦下火となります。恐らく、記録が行くところまで行ってしまって、誰も挑む気にならなかったのでしょう。90年台前半に戸田真人という、これまた凄い耐久サイクリストが出現しましたが、井手さんの記録を破るには至っていません。

「東京大阪TT」が再び日の目を見るのは、24年後の2006年。「キャノンボール」の名前が与えられ、再びサイクリストはこのコースを思い出すことになったのでした。


(終)
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群馬産のキャノンボーラー。
普段はラーメンかカレーを食べに行くグルメライドばっかりやってます。

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【長距離自転車TT記録】
大阪→東京:23時間02分
東京→大阪:23時間18分
東京⇔大阪:67時間38分
青森→東京:36時間05分

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2005年に書かれた東京~大阪の自転車向けルートガイド。情報は古くなっているものの、今でも十分使えます。


拙著の「東京→大阪キャノンボール」レポート掲載。タイムテーブルや、戦略等を詳しく書いています。


シクロツーリストの田村編集長による長距離走行ガイド本。時短法やキャノンボール挑戦時のエピソードが掲載されています。

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