史上初めて「東京~大阪」を24時間以内に走った人

本記事では、史上初めて「東京~大阪間を自転車で24時間以内に走破」した方について述べます。言うなれば、初代キャノンボーラー。彼は何故このチャレンジをしようと思ったのか、そしてどんな装備で走ったのか。1969-70年に行われたチャレンジを追いました。


■導入


長い間、ずっと疑問に思っていたことがありました。それは、

 「最初に東京~大阪を24時間以内で走ったのは誰なのか?」
 
ということ。Cannonball Wikiでは1970年に藤田照夫氏が23時間07分で走破したという記録が紹介されているものの、この記録についても詳しいことは分からないままでした。

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そんなある日、以下のツイートがリツイートされてきました。

1970年6月のサイクルスポーツ、キャノボの記事あり pic.twitter.com/t6TqRqdBLU

― わたまる@那須ロングライド (@ERO82) 2016年5月3日


これは恐らく、上記の藤田さんの記事。是非読みたい……しかし、この本が置いてあるのは群馬県のとある茶屋。ちょっとそこまで行くのも難しい。しかし、日本には便利な場所があります。古今東西の自転車本が読める場所があるのです。

それは、目黒の自転車文化センター。会員登録をすることで、蔵書数9000冊の自転車関連書籍を読むことが出来ます。ここならば1970年のサイクルスポーツもあるはず!

書棚には無かったので受付の方に聞いてみると「ありますよ」とのこと。地下からわざわざ持ってきてもらいました。当時のサイスポは今のものよりも小さく、ムック本サイズ。3号分が一冊に纏められた本をめくっていくと、藤田さんの挑戦記事「東京大阪タイムトライアル~24時間の苦闘~」の記事が出てきました。導入2ページ、本文4ページの大特集です。

この日は、記事をコピーさせてもらって帰りました。

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翌日。コピーしてきた記事を読んでいると、ふと気になりました。

 「今、この藤田さんは何をしているんだろう?」
 
1970年当時22歳なら現在68歳。お会いできたら、貴重な話が聞けるかもしれない。そんなことを思い、Facebookを検索。一番上に出てきたのは「藤田照夫」さん。同じ字の方。そして、その勤務先を見て一瞬固まりました。

 「勤務先: レーシングスポーツフジタ」
 
……自分はこの藤田さんを知っている。しかも会ったことがある。つい3週間前に、趣味の老舗サイクルショップ巡りで訪れたばかりの店の店主さんでした。店主さんの年齢は68歳。これはもう間違いない。あのバーテープを売ってくれた店主さんこそ、伝説の初代キャノンボーラーだったのです。

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早速、その日のうちに電話でアポイントを取り付けてお話を聞いてきました。本記事はそこで聞いたお話と、サイクルスポーツ1970年6月号から構成したものです。


■藤田さんのプロフィール


1948年生まれ。中学時代から自転車を始め、高校時代からレースに目覚める。丸石自転車に就職後は実業団(※)に入り、各地のレースを転戦。全日本選手権では13位、1970年の全日本実業団大会では2位という好成績を記録。特にロングが得意というわけではなく、ロードとトラック競技が主戦場。大宮政志氏や、森幸春氏と言った当時のトップ選手と鎬を削っていたそうです。

1969年に「大阪→東京」にチャレンジし、23時間40分で完走。1970年には「東京→大阪」にチャレンジし、23時間07分で完走。1971年には30時間以内を目標に「東京→青森」にチャレンジしたものの、盛岡で膝痛のためDNF。

racing-fujita.jpg
1988年に川越に「レーシングスポーツフジタ」を開業。95年からは「川越~直江津ロングファストラン」を主催。今年で22回目を数える。

※当時は実業団チームを持つ会社で働いていないと走れなかったらしい。


■挑戦動機


サイクルスポーツで取り上げられた挑戦は1970年の「東京→大阪」。しかし、藤田さんはその一年前に「大阪→東京」に挑戦されています。何故、この挑戦をしようと思ったのか、質問してみました。

 「1965年頃に読んだ"サイクリング(※)"って雑誌にレポートが載ってたんですよ。
  でもその挑戦は24時間はオーバーしてて。ならば自分でやってみようと。」

  
しかし、藤田さんは自らハードルを上げ、24時間ではなく20時間を目標にして「大阪→東京」に挑んだそうです。

 「沼津まではかなり頑張って16時間で着いたんです。でもそこで疲れちゃって。
  そのまま行けば20時間は無理でも22時間は切れたはず。
  だから23時間40分は僕にとっては失敗なんですよ。」

  
翌年、今度は逆方向の「大阪→東京」に挑んでみようと思い立った藤田さん。そのキッカケは、大阪で初開催となったニューサイクルショー。どんなイベントだったかは聞き忘れたのですが、当時のサイクルモードみたいなものでしょうか。「大阪→東京」よりも条件の厳しい「東京→大阪」。今度の目標は22時間半に設定し、挑戦に臨むことになりました。

なお、「藤田さん以前に東京~大阪を24時間以内に走った人っていたんですか?」との質問もしましたが、「多分いないと思う。あまり当時はこういう挑戦をする人はいなかったので。」とのお答え。

戦争で焼け落ちた多摩川大橋が再建され、国道1号が全線開通したのが1949年。それから20年の間に記録に残らない挑戦をした人がいた可能性はありますが、当時日本でも最強クラスのロードマンだった藤田さんがサポートカーを付けて23時間ということを考えると、そういった人がいた可能性は低いでしょう。道路状況といったインフラ、自転車や装備等のハード、そして走者が揃ったのが1969年なのでしょう。やはり、史上初めて自転車で24時間以内に東京~大阪間を走ったのは藤田さんと考えて良いようです。

※サイクリング誌→既に廃刊となったニューサイクリング誌の前身


■挑戦結果


1970年4月25日の昼12時から挑戦。スタートは皇居前、ゴールは大阪市の国道1号線終点。ルートは国道1号線準拠。サポートカーありでの挑戦です(当時はサポートカー有が主流だった)。

 走行距離: 544km
 タイム: 23時間07分
 平均時速: 23.5km/h
 
箱根の前後は雨。ここで雨具を着たり、サポートカーに積んだ泥除けを付ける等で結構なタイムロス。ただ、雨が降ったことで風が吹かなかったのは良かったとのことでした。東京→大阪で辛いのは向かい風ですので。

停止時間は2時間36分と書いてあるものの、これは休憩やパンク修理時間のみの合計。信号停止時間も入れると、3時間はゆうに超えていたはず。そうなると、走行時の平均時速は30km/h近かったものと推測されます。
 
なお、サイクルスポーツに載っていた走行距離(544km)は藤田さんいわく「車のメーター距離では」とのこと。当時はサイクルコンピューターは無かったので、正確な値は分からないそうです。ただ、国道1号線を愚直になぞったのであれば、距離は550-560km程度になるはず。多分車は途中で高速道路やバイパスを使っているから短く出ているのでしょう。

syodai_cannon.jpg

こちらは詳細なタイムテーブル。大休憩とパンク修理の時間をこれだけ取って23時間に収めているのは流石です。


■道路状況


当時の道路の様子について聞いてみました。東海道は1970年段階では全面舗装が完了。舗装については今よりも荒かったらしいですが、信号については今よりもかなり少なかったとのことです。ただ、Googlemapなんて当時は無いので、バイパスの回避等が大変だったと仰っていました。宇津ノ谷峠の平成トンネルは開通前で、旧トンネルを抜けたそうです。国道15号も品川から先は自転車通行禁止だったらしく、国道1号を辿ったとのことでした。

また、1960年代の前半には、宇都宮~仙台の四号線はダートだったとのこと。70年代には舗装が完了し、東京→青森のチャレンジを行ったときは問題なく走れたとのことでした。


■自転車


当時の最高峰のビルダーである梶原利夫氏の作成した超軽量クロモリフレームで挑戦。なんと、完成車重量は6.8kg。カーボンも無い時代にこの重量は驚きですね。ただ、軽量に作りすぎたためか耐久性は低く、数年でフォークがダメになってしまったと仰っていました。

ギヤは、前が50-46T、後が(恐らく)5段変速で、最大が24T。フロントについては、現在のように「登りはインナー」というよりは、ギヤ比が微妙な所でフロントギヤを変える使い方をしていたそうです。基本的には全てアウター。箱根の登りもアウターだったそうです。

タイヤはトラック競技用のチューブラータイヤ。180gと超軽量ながら、耐パンク性は無に等しく、「東京→大阪」間で2回パンクしたそうです。

ビンディングペダルは存在しない時代なので、トゥークリップ固定。信号のたびに手で外さねばならず、大変だったとのこと。

バーテープはコットン。サドルはブルックスの皮。振動吸収性は今のものに比べると相当悪かったようです。「今のサドルはどれも楽だよね」と仰っていました。


■装備


装備面が一番今と違うのではないでしょうか。

一番驚いたのは、「当時のレーパンにはパッドが無かった」ということ。皮サドルにパッドなしレーパンで24時間走り続けるのは予想以上に辛かったはず。実際、「トイレに行くたびに尿道の痛みが辛かった」と仰ってました。この挑戦の後しばらくして、付き合いのあった清水氏(現・パールイズミ社長)から新製品のテストとしてパッド付レーパンを渡されたそうです。

ライトの運用も大変だったようです。当時のライトは持って1-2時間。コンビニで電池も買えない時代の話です。サポートカーから何度も供給を受けてライトを交換したとのことでした。

 「ライトが切れて警察に呼び止められたらタイムロスになるし、第一危ない。
  電池が持たないから切らさないようにするのが大変だった。
  今のライトは一晩持つから良いよね。」

  
と仰っていました。ライトはここ数年で凄まじく進化しましたからね。当時の厳しさが垣間見えた話でした。


■交通安全


トゥークリップ、ライトのエピソードからも分かるように、藤田さんは「交通法規を守ってのタイムトライアル」を徹底していたそうです。ズルをした記録には意味がないと考えておられ、「車の後ろに着いてもいないよ!」と笑顔で仰っていました。これには深く同意します。

恐らく当時は今よりも交通法規に関してはルーズであったと思われますが、そんな時でも自分で立てた条件を曲げずに挑戦していたのは素晴らしいですね。

藤田さんは280㎞を走るイベント「川越~直江津ロングファストラン」を主催している方でもありますが、その考え方は安全第一。長時間の夜間走行は自身の経験からリスクが高いと考えておられ、朝出発して明るいうちにゴール出来る設定にしているそうです。開催日がゴールデンウィークの中日なのも、「長距離の大型トラックが少ないから」と仰っていました。


■その他


今回、印象的だったのは藤田さんが1971年に挑戦した「東京→青森」のエピソード。9月なので薄着で臨んだものの、夜の東北地方の予想外の冷え込みにより膝を痛めて550㎞地点でDNF。

 「あ、実は私も10月に逆方向の青森→東京をやったんですが、
  同じように残り200㎞で膝を痛めまして……。
  その時の気温は8度でした。」
 「40年経っても同じミスしてる人がいるんだね!」

 
と大笑い。歴史は繰り返すのかもしれません。


■まとめ


現時点で分かっている中で最古の「一日で東京大阪を走る」エピソードを本人から聞くことが出来たのは、非常に刺激的な体験でした。まさか、全然違う目的で行った自転車屋の店主さんがその人だったとは思いませんでしたが……。

話を聞くにつれ、今と昔の違いには驚かされました。LEDライトも無い、パッド入りレーパンも無い、ビンディングも無い、コンビニも無い、ルートも良く分からない。そんな条件であっても全力で挑戦したエピソードは聞いているだけで胸が熱くなりました。

最後に藤田さんが仰っていたのは、

 「記録は自分の中に持っていればいいんですよ。」
 
と言うことでした。時代によって道路状況は変わるし、装備も変わるし、人の考え方も変わる。でも自分がやった事実は変わらない。人の記録と比べるよりも、自分がやったことを大事にしなさい、と言うことなのだと思います。かつて一流の選手であり、ロングライダーであり、今でもイベントの主催を通して楽しさを発信し続けている偉大な先人の言葉は重みがあるものでした。

(終)
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ばる

Author:ばる
群馬産のキャノンボーラー。
普段はラーメンかカレーを食べに行くグルメライドばっかりやってます。

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【長距離自転車TT記録】
大阪→東京:23時間02分
東京→大阪:23時間18分
東京⇔大阪:67時間38分
青森→東京:36時間05分

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2005年に書かれた東京~大阪の自転車向けルートガイド。情報は古くなっているものの、今でも十分使えます。


拙著の「東京→大阪キャノンボール」レポート掲載。タイムテーブルや、戦略等を詳しく書いています。


シクロツーリストの田村編集長による長距離走行ガイド本。時短法やキャノンボール挑戦時のエピソードが掲載されています。

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